前回 は
映画『 リンク 』の劇中で
スティーヴン・フィリップ教授
(テレンス・スタンプ:演)が
違いが人類に文明をもたらした。」
と言っていた理由について
考えてみました。
では
この映画での他の疑問。
フィリップ教授が劇中で
執筆した論文「 森へ戻れ 」 の
続編のタイトルが
なぜ「 辺獄 」なのか について
考えてみましょう。
劇中では「 森へ戻れ 」についての
内容は語られていません。
しかし映画の筋から見て
おそらくこういった内容だろう
という推測はできます。
前回でも述べたように
野生環境においては
集団ごとで食べ物,道具,
コミュニケーションの方法が異なり
独自の文化を持っています。
人間と暮らすようになれば
人間とのコミュニケーションも
可能であることは
劇中のリンク達の生活を見れば
明白です。
しかし
人間の生活環境に適応した場合。
知性が高く
嫉妬心や喜怒哀楽といった感情も
持っていますので
タバコの吸い方を教えれば
その通り覚えるし
人間の行為を見よう見まねで
どんどん吸収し行動に移すでしょう。
気に入らなければ
檻に閉じ込めて監禁するといった
ことなどまで・・・。
同種の者を殺すこともします。
しかも
腕力は人間をはるかに超えるため
彼らが暴走した場合に
この映画のような
恐ろしいことになります。
従って
フィリップ教授は
彼らで築いた文化的伝統にしたがって
生活することが望ましいと考えて
「 森へ戻れ 」というタイトルの
論文を著したと考えられます。
では
その続編のタイトルが
なぜ「 辺獄 」(LIMBO)なのか。
「 辺獄 」(LIMBO)は
ダンテ の「 神曲 」にも登場します。
辺獄 は静かな森で
地獄の入口にあるとされています。
辺獄には
キリスト登場の前に生まれた
罪を犯していない人々が
集められています。
この者たちは
キリストより前に生まれているので
キリスト教の洗礼を受けていないか
あるいは信仰をしていないため
善人として真っ当な人生を送っても
天国へ行くことができず
辺獄という場所に居るのです。
つまり
人間の文化に染まってしまった
リンクのような
自発的に人間と同等にタバコを吸い
服を着たりして
“ 人間的 ” になってしまった
だからその死後も
人間と同じ道を行かなければならない。
しかし
彼らは当然ながら
キリスト教の洗礼を受けておらず
信仰もしていない。
従って
彼らの死後は「 辺獄 」(LIMBO)へ
行くことになるだろう。
というような意味を込めて
フィリップ教授 は
論文の続編のタイトルを
「 辺獄 」(LIMBO)
としたのではないでしょうか。
では
映画のラストの “ 落ち ” についは
どうでしょう。
リンクの死により
車で逃げることができた
ジェーンとその彼氏ですが
車を走らせている途中
行方がわからなくなっていた
ジェーンが見つけると
インプを乗せて再び車を走らせます。
そして
遠ざかる車の周りには
野犬と思われる多くの死骸が
散乱している場面が映って
映画が終了します。
この野犬たちを殺したのは
おそらくインプの仕業でしょう。
劇中でも
リンクが野犬を簡単に殺してしまう
場面があるので。
インプでも同様の力を持っていると
思います。
なぜインプが
大量の野犬を殺したのでしょうか。
ジェーンがインプを見つけて
車に乗せるシーンで
羊の声が聞こえます。
Pan troglodytes
(パン・トログロディテス)といい
パンとはギリシア神話の牧神のことで
羊飼いと羊の群れを監視する
半獣神です。
だから
羊を狙う野犬を殺したのではないか
ということが一つ考えられます。
もう一つは
インプ( imp )という名前は
「 いたずらっ子 」,
「小悪魔」という意味がありますが
他の意味では「 接ぎ穂 」
つまり
とぎれた話を続ける手がかり
という意味もあります。
この映画で
フィリップ教授 は 癇癪持ち で
物語の途中で
リンク達に殺されてしまいます。
また
演じているところを見ると
マッド・ドクター風の
教授のようにも感じます。
一方
エリザベス・シューが演じる
女子大生のジェーンは
活発な可愛い女の子なので
教授の意見に反対する彼女を見ると
彼女の方が正しいかのように
肩入れして観てしまいがちですが
フィリップ教授の考え方のほうが
現実的であり
ジェーンの考えは未熟で
理想主義的でかなり甘い。
リンクにあれだけ
恐怖に落とされながらも
子供だからと言って
インプに対して
今までと同様に接して
可愛がっています。
しかも冒頭でインプが好んで
猫や鳩を捕まえて食べていることを
教授から聞かされているにも
関わらずに・・・。
そしてラストの野犬の死骸の描写。
ラストの “ 落ち ” で
「 後に同じような恐怖と悲劇が
繰り返されるだろう。」と
インプが
この話の続きを暗示している。
言わば
皮肉になっているというわけですね。
ちなみにリンク( link )という名前は
約500万年前に
生存していたと推定されるので
結びつけるものという意味で
名づけたのでしょう。
そして
ブードゥー( Voodoo )という名前は
弾圧を受けた宗教。
つまり野蛮で受け入れられない
といった意味で名づけられたのかな?
と思います。
それと
顔が黒くなるので
それを
奴隷だった黒人に見立てたのでは
ないかと思います。
この映画では
『 キングコング 』とは異なった
類人猿のリアルな恐怖を
表現するにあたって
使っていることに現実味があり
また
彼ら猿たちの好演も手伝って
よりリアリティが増したところが
いい評価ができるポイント
ではないでしょうか。
とういことで
映画「リンク」を改めて観ると。
感じることは
人それぞれにあると思いますが
人間と動物との距離を考えさせられる
作品でした。
以上
読んでいただき
ありがとうございました。