えかきのまどや 雑記帖

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ブラックホール第3惑星は猿の惑星 !?

メカゴジラ2部作考 2

 

過去の記事

『 ゴジラとメガゴジラの “ 陽と陰 ”』

『 チタノザウルスの体色はナゼ赤いのか 』

 

において


『 ブラックホール第3惑星人 』

(正式名称:
 大宇宙ブラックホール第3惑星人)

とは何者なのか?

 

そのネーミングから

暗喩的意味を考察すると

『 ゴジラ対メガゴジラ 』と

『 メカゴジラの逆襲 』の

連続する2作には

” アメリカ礼賛 ” という

プロパガンダ を含んでいることを

述べました。

 

その他に

着目すべきところは

彼らの正体が

1作目と2作目で

容姿が異なるということです。

 

ここから ” アメリカ礼賛 ” を

導き出すことは難しく

 

『 ブラックホール第3惑星人 』には

暗喩としての別の意味も

隠されているのではないかと

考えられます。

 

まず

1作目での素顔は

” 猿人” のような容姿です。

 

『ゴジラ対メカゴジラ』1974年 東宝 - Amazon Prime Video

 

これは

1作目で第3惑星人を演じた

草野大悟 氏の印象から

そうなったらしく

 

それから

これは憶測ですが

スペクトルマン(宇宙猿人ゴリ)で

宇宙猿人ゴリを演じた

遠矢孝信 氏も

第3惑星人を演じていますが

これも猿人つながりで

何らかの関係が

あったんでしょうかね… ??

 

それはさておき 

その一方で

2作目での彼らの素顔は

ケロイド状に焼けただれた顔の

“ ミュータント人間 ” のように

変わっています。

 

『メカゴジラの逆襲』1975年 東宝 - Amazon Prime Video

 

1作目 は 猿人の顔。

そして

続編 としての 2作目 は

ケロイド状の皮膚をした人間の顔。

 

とくれば

モチーフになっているのは

言わずと知れた

映画『 猿の惑星 』と『 続・猿の惑星 』

ということになるでしょう。

 

製作者サイド に

映画のストーリー構成 や

ブラックホール第3惑星人の容姿 を

『 猿の惑星 』から パクったか否か を

ストレートに尋ねても

作曲の盗作騒動なんかと同じように

頑なに「 No!」と回答するに

決まってるでしょうから

本心はわかりません。

 

ブラックホール第3惑星人 について

後付け的なつじつま合わせの

説明や設定も出ていますが

『 猿の惑星 』から

大きな影響を受けていることは

明らかです。

 

そのモチーフになっていると考えられる

映画『 猿の惑星 』と『 続・猿の惑星 』の

連続したストーリーを

「 ゴジラ対メカゴジラ 2部作 」に

合わせてみましょう。

 

自滅してしまった現代の人間に代わり

地球を支配したのは

高度な文明をもった猿人だった。

しかし

一部の人間は

ミュータント化して生き延び

彼らもまた秘密裡に

高度な文明を築いていた。

 

こう考えると

ブラックホール第3惑星 では

2種類 の 支配者的種族 が

存在していて

現代の地球に攻めてきたのは

各々の異なる種族である。

 

また

“ 猿人 ” の種族 は

屈強な肉体を持っている。

一方

“ ミュータント人間 ” の種族 は

肉体は蝕まれているが

知能は “ 猿人 ” の種族 よりも

優れている。

 

こういったことから

1作目の『 ゴジラ対メカゴジラ 』での

ブラックホール第3惑星人は

肉弾戦の格闘シーンが多く

かつ

粗暴な印象を受けます。

さらに

“ 猿人 ” の種族 は

自らの肉体が蝕まれているという

ひっ迫感も

自らの星についての

危機感もなく

単純に優位的地位からの

支配・統制目的として

侵略行為をしていると

考えられます。

 

これに対して

“ ミュータント人間 ” の種族 は

自らの肉体や星について

危機感を持ち 

種族が生きながらえる術としての

侵略行為でしょう。

 

また

戦略的な印象については

1作目より2作目のほうが

より狡猾で知略的な印象を受けます。

 

2作目の

『 メカゴジラの逆襲 』の劇中において

ブラックホール第3惑星人 の

ムガール隊長 と

先に地球に乗り込んでいた

部下の 津田 が

「我々は東京をつくり変える」として

発展する東京の都市を

高層ビルの一室から見下ろしながら

会話をするシーンがあります。

 

ここでの台詞で

「 この都会こそ地球人の頭脳そのもの。

  汚濁と混乱。

     秩序は

     常に後から追いかけるものにすぎない。

     結局のところ

     地球人は自分たちが

     何をつくっているのかさえ

     わからないのです。」


引用元:映画『メカゴジラの逆襲』1975年 東宝

とあり 

皮肉をたっぷりに

的を得た発言をしています。

 

この台詞を含めた

一連のシーンをみれば

“ ブラックホール第3惑星人 ”  は

人類のはるか先を歩んでいて

高度な文明社会をもっている

ということがわかります。

 

その一方で

「 我々の肉体を取り戻すことのできる

    街をつくる。」

「 我々の故郷

    ブラックホール第3惑星の

    最期が近づいている。」


引用元:映画『メカゴジラの逆襲』1975年 東宝

といった台詞から

自分たちの種族の肉体が

蝕まれていることと

棲む星が末期であることを

知ることができます。

 

つまり

今の地球人による経済社会が

このまま発展して行けば

いずれは破綻し

ブラックホール第3惑星人 と

同じ轍を踏むことを

彼らは見越しているようです。

 

ゆえに

暴走する自由放任な市場原理主義や

歯止めのない経済至上主義といった

これまでに形成された

一切の社会秩序を暴力的に排斥して

エリートの寡頭が支配・統制する

計画された未来社会につくり変える。

ということでしょう。

 

エリートの支配層が未来図を描き

新しい統制国家をつくるという

高尚な計画をもった侵略者の

設定であるならば

「 2作目 」は “ 猿 ” ではなく

より高度な頭脳をもった

“ ミュータント人間 ” が登場した

という理由も頷けます。

 

こうして

映画『 猿の惑星 』を踏まえて考察すると

もう一つの 暗喩的意味 は

“ ブラックホール第3惑星 ” とは

未来の地球 であり

“ ブラックホール第3惑星人 ” とは

未来の地球人の姿 であることが

導けます。

 

そしてそれは

文明や科学の発展の暗部を意味した

暗喩的表現であると考えれば

合点がいきます。

 

つまりここでも

「 ゴジラ対メカゴジラ 2部作 」での

手法である “ 陽と陰 ”  の表現が

使われています。

 

物語を創作するに当たり

主人公に対する強力な敵として

主人公の分身を出す手法は 

ヒーローものの常道で

「 ゴジラ対メカゴジラ 2部作 」にも 

その手法が使われていることは

前にも述べたところです。

 

ゴジラ に対しての メカゴジラ。

そして

現代の地球人 の 分身 ともいえる

未来の地球人 としての

ブラックホール第3惑星人。

 

さらに

『 メカゴジラの逆襲 』で興味深いのは

 

ゴジラ と

本作での ブラックホール第3惑星人。

 

両者の共通点は

同じような

ケロイド状に焼けただれたような

体表面をもった姿をしている

ということです。

 

彼らの関係も

文明や科学の発展の

代償を受けた者同士であり

“ 分身 ” と

言えるのではないでしょうか。

 

プロデューサーの 田中友幸 氏が

最初の作品の

「 ゴジラ 」に対して

 

「 この映画は

  ゲテ物などと言われる映画に

  したくない。

  文明というものを

  問い直そうという作品だ。」


引用元:ゴジラはヒバクシャ、悲運背負って
 - 宝田明さん語る決意
 - 核といのちを考える 核禁条約発効へ(第6回)
 : 朝日新聞デジタル( 2021年1月21日 11時00分 )

と発言されたそうですが

 

ゴジラシリーズが一時休止となる

本作においても

本多猪四郎 氏などを再び招聘し

物語の内容からして

もう一度原点に環(かえ)って

「 文明を問い直す 」という

製作者の意図が読み取れます。

 

なおここで

ケロイド状に

焼けただれたような体表面や

ミュータント化というのは

僕自身が本作から

読み取ったメッセージであり

見る側で各々感じ方が

異なると思います。

 

言論統制を敷いている国で

政府を非難するような表現があれば

厳しい裁定を受けますが

暗喩的表現を用いて

諸々の社会批判や政治批判を

昇華させて表現することは

文学や芸術の手法としてあることで

それが

文学や芸術文化の発展をもたらした

一因でもあります。

 

「 ゴジラ対メカゴジラ 2部作 」では

暗喩的表現を用いて

メッセージを発信しているところが

作品の “ 深み ” であり

また

 “ セーフ ” なところであります。

 

仮に

被ばく や 汚染

➡ ミュータント怪物化

となる

ダイレクトな表現やネーミングが

あるとすれば

すぐに短絡的な輩が文句を言ってきて

 

ウルトラセブン 12話

『 遊星より愛をこめて 』や

映画『ノストラダムスの大予言 』

のように

 “ 封印作品 ”  になっていた

かもしれませんよね !?

 

振り返ってみると

高校生の時分に

国語現代文の授業で

安部公房の赤い繭に苦戦したように

それ以下の年齢の子どもが

この作品から “ 深み ” を

読み取ることは難しいでしょう。

 

『 ゴジラ対メガゴジラ 』は

全体的に明るいので

子ども達も楽しめそうですが

暗く悲哀なストーリーの

『 メカゴジラの逆襲 』の方は

東宝チャンピオンまつり では

ちょっと重すぎるのでは ??

と,改めて感じました。

 

 

〈 参考資料 〉

 ・ ゴジラはヒバクシャ、悲運背負って
 - 宝田明さん語る決意
 - 核といのちを考える 核禁条約発効へ(第6回)
 : 朝日新聞デジタル
 ( 2021年1月21日 11時00分 )https://www.asahi.com/articles/ASP1N2QDTP1GPTIL02M.html

 

メカゴジラの逆襲

 

以上

読んでいただき

ありがとうございました。