〈1970〉
( Lancelot Link : Secret Chimp )
『 ゆかいなチンパン 』〈1972〉
( Me And The Chimp )
『 トラック野郎!B・J 』〈1979〉
( B.J. and the Bear )といった
アメリカのTVコメディやドラマが
ありました。
『ゆかいなチンパン』Me And The Chimp 1972
これらのTVに代表されるように
といった 類人猿(エイプ)は
そのしぐさが人に近いこともあり
道化としてTVやショーなどの
スターとして多く利用されました。
映画『 リンク 』〈1986〉は
今までは
道化としての役どころであった
猿(エイプ)が
人間を恐怖に落とすという
「猿の惑星」〈1968〉の作風とは
異なった
逆転の発想で構成された映画です。
この映画の解説を見ると
動物ホラー映画
あるいは
サスペンス,パニックなどと
カテゴリー付けが
一定していないようです。
確かに
ホラー映画としてみると
一般的なホラー映画のような
恐怖感が足りない感じがするし
パニック映画では
登場人物が少なすぎます。
この映画の監督
「 サスペンス映画の神様 」
師事していること。
そして
物語の設定も
辺りを野犬が徘徊し
後ろは海で断崖といった
人里から離れた場所にある
孤立した屋敷が舞台。
かつ
ここの主が
テレンス・スタンプ演じる教授。
それから
そこに
助手兼お手伝いとして来る女子大生
となれば・・・。
“ これから事件がありますよ! ”
といった
メッセージは十分でしょう。
だからこの映画は
「 アニマルサスペンス 」として
観るといいかもしれません。
そして ラスト は 館の炎上 と・・・。
この手のシナリオの “ お約束 “ も
忘れていません。
なお
映画音楽は
ジェリー・ゴールドスミス が担当し
アフリカン調のリズムに
電子楽器を加えた楽曲に仕上げていて
物語での猿の恐ろしさを
映像や音楽で
猿のコミカルさを出して和らげ
全体を
従来の恐怖映画的ではないように
仕上げているのが特徴的です。
『 ジョーズ 』〈1975〉のヒットで
1970年代に量産された
アニマルホラー映画ですが
『 リンク 』も
その流れに乗った映画だろうとしか
当時の自分は考えていませんでした。
しかし
今,映画『 リンク 』を改めて見ると
演出,脚本が中々練られてるな!
といった印象です。
100分の映画ですが
ざっと見るのではなく
キーポイントとなるシーンを
掘り下げて考察すると
全体を観念的に捉える見方とは
異なるものが見えてきます。
まず
主人公の猿 “ リンク ”( Link )は
実際はオランウータンですが
劇中では人間にすると45歳ほどの
確かに
使うとなると
危険性の高い猛獣ですから
コントロールが効かなくなる
おそれがあるので
ここは やんちゃ坊主顔の
広い額と落ち着いた眼をもった
人生経験豊富な老人の分別顔をした
子供のオランウータンを
起用したのではないでしょうか。
その他の2頭は
この映画の特徴として
出演する猿は着ぐるみでもなく
ロボットやCGでもない
本物の猿が演じており
その表情にはリアリティがあり
とぼけた表情で
淡々と犯行を重ねる姿は
作品全体に現実感を与えています。
( ただし
さすがに猿の死体は人形です。)
彼らのアニマルトレーナーは
ヒッチコックの『 鳥 』〈1963〉で
多数の鳥を自在に操った
レイ・バーウィック で
彼による猫のトレーニングの
日本語訳された本が
新潮社より出版されていました。
興味のある猫好きの方は
是非読んでみて下さい。
話を本編に移すと
人類学者で
類人猿の研究をしている
テレンス・スタンプ演じる
スティーヴン・フィリップ教授は
“ ブードゥー ” と
“ リンク ” を処分しようと
動物商と交渉中です。
教授は
ブードゥーについては動物園へ。
そして後でわかるのですが
リンクについては
殺処分(安楽死)を考えています。
教授の表情を見ると
リンクに対しては
良く思っていないように窺えます。
つまり
粗暴で獣的なブードゥーに対して
リンクは教授の執事も兼ねていて
おとなしいが知恵が回って頭が良く
悪い意味で “ 人間的 ” になってきたので
恐怖感すら覚え
手に負えなくなってきたので
処分しようとしたのでは
ないでしょうか。
腕力は人間をはるかに超え
その上
頭も人間に近づいたら
制御が効かないので
手に負えなくなるのは当然でしょう。
だから
押しかけてきた
エリザベス・シュー演じる
動物学を専攻している
女子大生 ジェーン を
最初は煩わしがっていた
フィリップ教授でしたが
気が変わって
夏休みの間
助手兼お手伝いとして採用したのは
教授の中でリンクたちを
処分した後の15日に
ジェーンに屋敷へ来てもらうつもり
ではなかったのかな?
と思われます。
だから
ジェーンに来てもらう約束をした後
教授が一瞬安堵の表情を浮かべたのでは
ないでしょうか。
しかし
教授は日付を勘違いしていました。
これが
ジェーンにとって悲劇の始まりです。
翌日
ブードゥーたちを動物商のところへ
運ぶ準備をするのため
ジェーンにその場を外してもらった上
ブードゥーに鎮静剤を打とうとしたとき
“ インプ ” が邪魔をします。
教授がインプに手を焼いている隙に
リンクがブードゥーの檻の鍵を
故意に開けます。
檻から出た粗暴なブードゥー
それから
日頃から手を煩わせているインプ
そして
これまでは
利口に振る舞っていましたが
ついに教授に反旗を翻したリンクの
3頭の猿に囲まれて
フィリップ教授は殺されてしまいます。
そして
ブードゥーも
その後に棚の中から死体で発見され
インプも檻に入れられて
部屋に監禁されいるところを
ジェーンに発見されます。
後に教授の行方も明らかになり
死体を檻に入れられ
蓋の付いた井戸の中に
吊るされていました。
これらはすべてリンクの仕業です。
なぜリンクが
そのような所業に及んだのか
というと
動機は
教授が動物商と
自分たちの処分について
話していることを聞いていたために
身の危険を察知して
そうはさせまいと反逆し
犯行に及んだのではないでしょうか。
手段については
日頃からフィリップ教授が
ブードゥーやインプに手こずると
リンクに対して
「 鎖でつなげ」とか
「 檻に入れろ」と
命令しているので
自分も
相手が気に入らなければ
檻に入れるなどして
監禁することを学習したのでしょう。
ジェーンに対しても
電話線を切り電話を破壊して
外部との連絡を絶ち。
さらに
自動車を崖から突き落として
逃げられないようにして
軟禁状態にします。
もちろん走って逃げようものならば
周囲は凶暴な野犬がうろついている
環境です。
これらのリンクの行動は
狡猾ではありますが
日頃の人間の態度や行為を
模倣しているだけであり
言わば “ 猿真似 ” の範囲でしょう。
また嫉妬心もあるようで
子猿のインプを可愛がるジェーンを見て
目障りなインプを閉じ込めています。
これがさらにエスカレートすれば
教授がリンク達の処分を
話していたことを聞いていたように
うっとうしい者は殺してしまえ
という感情になるのは当然でしょう。
映画において
これらは猿の所業ですが
人間が持っている感情や行為そのもので
サスペンスドラマではもちろんのこと
現実の社会においても展開されている
人間の行いと同じなのです。
つまりこの映画では
サイコパスな人間の役どころが
猿に置き換わっている
ということです。
ただ
一般的な人間には
理性や道徳心がありますから
心の暴走を制御する感情も
通常は併せ持っています。
集団ごとに固有の文化的伝統を持ち
知性的な彼らが人間と暮らせば
ある程度
人間とのコミュニケーションが
可能です。
分子生物学の研究では
ゲノムの塩基配列の違いは
約1.2%だそうです。
劇中でもフィリップ教授が
ヒトとの違いは1%。
その1%の差が
人類に文明をもたらした。
と言っています。
その文明をもたらした差とは
何なのでしょうか。
それは物語の終盤にあります。
リンクは
マッチを擦り,タバコを吹かし
フィリップ教授の下に来る前の
サーカスにいた頃は
炎術の使い手として
人気を集めていたので
火を恐れないことが
他の猿に比べて特異なところです。
しかし
他の動物が恐れる火を使うことを
ジェーンに逆手に取られ
ガスの充満した部屋で
マッチを擦ったために大爆発を起こし
炎の中に消えていきます。
結論として
高等な類人猿は人に近く
火を使えるようになるほど
知性の高い動物ですが
人類のように
火を使いこなせるまでには
至らなかった。
それは
人間が感情におぼれず
筋道を立てて物事に対して
考えて判断する能力。
つまり
理性を持ったこと。
この違いが人類に文明をもたらした。
といったことが
この映画から読み取ることができます。
この映画についての疑問は
まだあります。
フィリップ教授が執筆した
劇中の論文「森へ戻れ」の
続編のタイトルを
なぜ「辺獄」(LIMBO)にしたのか。
さらには
ラストの “ 落ち ” は
何を意味するのか?
など・・・。
分量が長くなりそうなので
それは次回ということで・・・。
以上
読んでいただき
ありがとうございました。